東京浅草橋 人形のまるぎん
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人形の街・浅草橋

浅草橋といえば人形の街です。かつては30数軒の人形屋が、今日でも10数軒が、しのぎを削っています。が何故ここに人形屋が多いかというと、江戸時代頃、ここに浅草見付という門があり、ここから浅草寺(つまり観音様)までの参道の両側にあったお土産やさんが、後に発展したのが、人形屋やおもちゃ屋なのです。人形屋は今は浅草橋駅付近に集中していますが、バンダイはじめ玩具メーカーや玩具問屋は中間の蔵前付近に多数あります。人気テレビ番組の「アド街ック天国」の浅草橋編の第一位はもちろん人形街でした。 浅草見附から浅草寺まではほとんど一直線のため、古い川柳に『浅草寺、見附で聞けば、突き当たり』という句もあります。ただし、地下鉄で二駅、歩けば30分はかかります、浅草と浅草橋は、意外と離れているのです。
浅草橋には又、袋物や雑貨の問屋さんが多数あります。それは地理的な理由だからです。隅田川と神田川にはさまれたこの地域に、物資輸送を河川交通に頼っていた江戸時代には、大量の荷物を扱う問屋さんが集中したのは、自然の成り行きだったのです。


浅草橋界隈

神田川が隅田川に合流する最後の橋が柳橋です。その一つ上流の橋が浅草橋で、三番目の橋が左衛門橋という、なんともまあ古めかしく訳ありげな名前の橋です。
この付近は江戸時代頃は、浅草上平衛門町という地名でしたが(これまた時代劇に出てくる名前みたいですね)。
ここに庄内藩主の酒井左衛門守の江戸屋敷があったことにちなみ、明治以降は左衛門町と呼ばれ、橋は今でも左衛門橋、通りも左衛門橋通りと呼んでいます、(さすがに町名だけは変わりましたが)。
実はこの橋のある場所は浅草、神田、日本橋という地名のほぼ交わる地点で、一分も歩けばその地名を踏めるという意味でも贅沢なスポットなのです。 さらに浅草橋から浅草への途中に蔵前という場所があります、かっての蔵前国技館で有名です。
ここは江戸時代に、隅田川に面して幕府の米蔵があったことに由来します、関東一円の徳川幕府の直轄地から舟でお米をこの米蔵へ運び入れていた訳です。
その蔵の前に浅草寺に繋がる参道があり、大層栄えた町が片側だけ並んでいたそうです、それが浅草御蔵前片町、現在の蔵前一丁目~四丁目です。今では埋め立てられ何の痕跡もありませんが。

現在の浅草橋は人形と手芸と雑貨の街です、最近ビーズ手芸のお店が増えたことにも驚きますが、一番人出の多いお店は「シモジマ」さんです、本業は包装用品の問屋さんですが、当店隣のシモジマギフトラップ館は、一階でイタリア、タイ、韓国などの輸入食材を安売りしています。
また数軒先の五号館のニ階三階では文房具を、五階では家庭雑貨を問屋価格で販売しています。
安いのでいつも人がいっぱい、さらに何軒も店があるのでこの江戸通りをシモジマ通りという人もいるほどです。当店へのついでに覗いてみてください。

人形町

ところで、浅草橋と日本橋の間に、人形町という場所があります。ここは親子丼で有名な玉秀や魚の粕漬けの魚久など、食べ物のおいしい店が多く、また情緒ある雰囲気の街として、近頃話題のスポットです。この人形町は「ひな人形と関係ありますか」とよく聞かれますが、ここは江戸時代に、人形芝居や人形浄瑠璃の芝居小屋があったことに由来しているようです。

人形市

この時代の節句人形は、店を構えた人形屋さんのほかに、道路中央によしづ張りの出店が出た人形市として、売っていました。尾張町(今の銀座)、茅町(今の浅草橋)、麹町などですが、一番有名なのは、日本橋十軒店です。場所は今の三越本店の少し神田よりの室町です。人々はこの市が立つのを待ち焦がれ、季節にはたいそうな賑わいであったようです。


柳橋

ローゼ形式といわれるアーチが美しい柳橋

神田川にかかる浅草橋のひとつ下流の橋が柳橋です。神田川が隅田川に合流する最後の橋です。この付近はなかなか風情ある場所で、テレビドラマのロケなどもよく見かけます。初代の柳橋は、元禄11年12月26日に完成したといいますから、300年という大変古い歴史の橋です。始めは川口出口の橋と言っていたそうですが、明治20年に鉄の橋に架け替えられました。そして橋のたもとに一本の柳の木が植えられていたことから、以来、柳橋と言っています。現在の橋は3代目で、昭和4年の建造です。

柳橋の欄干のかんざし、下は神田川と屋形船

橋より北側の地域を、かっては茅町(かやまち)といっていましたが、橋にちなみ、今は柳橋地区と称しています。 かっての柳橋は花街でした。江戸時代中頃から昭和40年頃までは、料亭も数多くあり、芸者さんを送り迎えするための人力車があるなど、粋な街として栄えていました。柳橋の橋の欄干には、かんざしのプレートが埋めこまれていて、往時の繁栄を物語っています。その料亭も、今は一軒もなくなりましたが、神田川に面した船宿は、屋形船屋となり、現在は神田川にたくさんの船を浮かべています。



浅草見附

江戸城本丸の周囲は、お堀と川で囲まれています。そこを渡る橋のキワには、見附と呼ばれる関所が設けられていました。江戸中期には30ほどあったようですから、徳川幕府は万全の備えをしていたわけです。赤坂見附は今でも大変有名ですが、浅草見附もなかなかの大きさの見附でした。 夜にここを通る時には、番卆が守っているので、いちいち挨拶して、「とおーれ」といわれてから、橋を渡った、という話が残っています。江戸の夜は今のように自由に歩けなかったのです。

浅草橋の年末

浅草橋の年末は大変な人出です、クリスマスデコレーションを販売している造花屋さんやお正月関連の雑貨のお店がたくさんあるからです。もともとこの地域は問屋街なので、かっては「素人さんへの小売はお断り」でしたが、今ではほとんど小売もしてくれますし、数がまとまれば問屋価格になります。 当店でも年末はお正月関連の雑貨物の販売で大賑わいです、写真のような干支物やお正月飾り用品が中心ですが、ピックという飾りが今大評判です。ピックとは針金の先に付けた各種の小さなお正月飾りを小さなワラの束に差した飾りです、ひとつ数十円から百円前後のピックを十本程度差すだけですが、これが意外としゃれた部屋飾りになるのです。


関連リンク

浅草橋地区のホームページです。 http://www.asa-yanagibashi.com/