東京浅草橋 人形のまるぎん
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木目込人形材料のうんちく話

面影橋というお人形

当店のすぐ南を流れる神田川の源は三鷹の井の頭池です、かっては皇居付近を経由して東京湾へ流れていたのを、二代将軍の秀忠が、江戸城防衛のため、飯田橋付近から人工の川を作り直接隅田川へ流すことを命じます、御茶ノ水駅下のあの美しい神田川は、つまり運河なのです。 この上流の新宿区早稲田付近にかかる橋のひとつに「面影橋」という、なんとまあロマンチックな名前の橋があります。今は住宅街の中のどうということのない橋ですが、桜の頃の景観は見事とのことです。 ここが有名なのは「山吹の里伝説」です。江戸城築城で有名な太田道灌が、当時まだ田舎のこの地に鷹狩に来ましたが、途中で雨に逢います、そこで近くの家の娘にミノを借りようとしました、すると娘は山吹の花を黙って一輪差し出すだけです。 後に道灌はその意味を知ります。それは『七重八重 花は咲けども山吹の みの一つだに なきぞわびしき』という古歌にかけた答えでした。つまり『残念ながらミノはない』という意味だったのです。道灌は自分の教養の無さを恥じ、以後は和歌を学ぶようになったという故事です。 この面影橋は田山花袋の「生」や、阿刀田高の「面影橋」という小説にも登場します、また有名なフォークソング「神田川」はこの付近の安アパートの設定で作られた曲といわれています。 当店の人形材料に「面影橋」があります、これが教養ある娘の立ち姿なのです。

大黒天のお話。

大きな袋を背負い、右手に打出の小槌を持ち、米俵を踏みしめ、大黒頭巾を被った福々しい顔のおなじみの人形です。
さてその大黒天、元はインドの神様です、マハーカーラーといい、大変に恐ろしい顔をしているそうです、マハーは大、カーラーは黒を意味するので、直訳して大黒、という訳ですが、日本には大国主命という因幡の白兎で有名な神話の主人公がいます、この大国と大黒がともに だいこく なので、いつしか日本では合体して、大黒天すなわち福の神となっていきました。 この大黒様、米俵、打出の小槌、福袋と、福をもたらす小道具を備えた、まさになんでもありの結構な神様なのであります。 現在当店では三点の大黒様の材料があります、慶時の贈り物にどうぞ。

暮れ六つ

『暮れ六つ』という大変に評判のいい木目込人形材料があります。ところで、暮れ六つ、とはどういう意味なのでしょうか。
江戸時代の時刻は日の出と日の入りを基準にしていました、昼を六等分、夜を六等分して、それぞれに干支を当てはめていたのです、そしてその時刻を知らせるのに、鐘や太鼓を叩いていました。夜明けの六時頃の卯の刻には打数が六回で、明け六つ、といい、夕方六時頃の酉の刻も同じく打数が六回で、暮れ六つ、と呼んでいました。もっとも夏と冬では、昼間と夜の時間の長さが替わるため、時間はあくまでも目安ですが。 時計のない江戸時代は人々は鐘や太鼓の打数を数えながら生活していたのです。

無我という人形

日本画の巨匠、横山大観の作品に“無我”というのがあります。あどけない童子が野原に立っている作品ですが、大観はこの子の表情に、無の境地を表現しようとした、と言われております。
大観はこの表情を出すのに大変苦労し、実は三点の無我を残しています。この無我をヒントにした木目込材料の無我も、昔からの定番品です。
凝った人は、襟元を削り、胡粉で埋めています、こうすれば、素肌に直接着物をまとう感じになり、大観の無我と同じ様な雰囲気の人形になります。
人形作りに慣れてきたら、筋彫りや型紙にこだわることなく、少し改造して、自分流の人形を作ってみてはいかがでしょうか、人形作りがさらに楽しくなりますよ。

かんざしの話

女性が日本髪を結う時に使うものが簪(かんざし)、笄(こうがい)、櫛(くし)です。
かんざしも笄も似たようなものですが、笄はまげの間に水平に差して、髪を固定するのに使用しました、ですからほとんど棒状です、吉原のおいらんはこの笄を十数本も髪にぐるりと差していますが、芸者は二本までと決められていたとか、江戸時代にはいろいろと約束事があったようです。 かんざしはご存知のように多種多様です。平打、玉かんざし、立挿し、両天、びらびら、扇、薬玉などなど、髪飾り全般をいいます。
素材はいろいろありますが、べっ甲が高級品です、べっ甲とは南洋の海に生息するタイマイの甲羅を加工したものです。特に花嫁さんのかんざしはべっ甲と決まっています。理由は「たとえ姑につつかれても嫁姑の仲がうまくいくように、亀のごとく一度は首(反論)を引っ込めなさい」という意味だそうですが、かなりのこじつけ論法ですね。 お店で販売している人形用のかんざし類は、もちろんプラスチック製です、べっ甲は超高級品ですし、なにより現在は輸入禁止となっています。


_ かんざし かんざし
▲人形用かんざし(一部) ▲ビラかんざし
かんざし かんざし
▲人形用かんざし(一部) ▲人形用かんざし(一部)

うつせみのお人形

当店の人形材料の「葵の上」や「明石の上」が源氏物語の主人公、光源氏の正妻と愛人ですが、もうひとり「うつせみ」がいます。
 うつせみは人妻です、夫は伊予の国(今の愛媛県)の副知事のような役人になった人で、後妻として結婚したためかなりの年の差がありました。
まだ京にいる時,夫は単身赴任で任地へ出発します、その留守中にうつせみの評判を聞いた源氏が屋敷へ忍び込みます、 だがその気配を察したうつせみは着物一枚を残して部屋を抜け出しました、その様子がせみの抜け殻のようなので、ついた名前が「空蝉」つまり「うつせみ」という訳です。
 うつせみは小柄で地味であまり美人ではなかったのですが、立ち居振舞いが水際だっており、しっとりと落ち着いて趣味のいい女性でした、それがまた源氏の心をとらえたのでしょう。 なおうつせみは紫式部自身がモデルではないかということです。

花嫁御寮のお人形

木目込人形材料『花嫁御寮』についてのお話です。御寮とは、良家や子女の奥さんのことで、「御料人さま」の当て字ということです。

きんらんどんすの 帯しめながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろう
文金島田に 髪結いながら
花嫁御寮は なぜ泣くのだろう
あねさんごっこの 花嫁人形は
赤い鹿の子の 振袖着てる
泣けば鹿の子の たもとが切れる
涙で鹿の子の 赤い紅にじむ
泣くになかれぬ 花嫁人形は
赤い鹿の子の 千代紙衣裳

この歌の題名は「花嫁人形」といいますが、歌詞を読むと、泣く、切れる、涙など、とても婚礼の歌とは思えません、さらに人形ではなく生身の人間を表現しているとしか理解できないような歌です、これが子供相手の童謡ですよ。不思議な歌ですね。 作詞は蕗谷虹児、大正十二年の作です。

大宮人のお人形

大宮人というお人形があります、さて大宮人とは万葉時代、奈良の平城京に勤務するお役人のことです、当時その数八千人といわれ、平城京は右も左もお役人だらけで、また活気に満ちた都だったようです。
 その大宮人のひとり、小野朝臣老は奈良から九州の大宰府に次官クラスとして転勤します、ここの長官は大伴旅人、この地で歌った歌が
「あおによし、奈良のみやこは、咲く花の、にほふがごとく、今盛りなり」
当時としてはとんでもない遠くの田舎に勤務させられ「ああ、奈良はよかったなー」と思いにかられた歌ということです。
万葉集第一の歌人と言われた柿本人麻呂の歌です。
「ささなみの志賀の唐崎、幸(さき)くあれど、大宮人の、船待ちかねつ」
意味は、「ささなみの志賀の唐崎はその名のとおり変わらずあるのに、大宮人を乗せた船はいつまで待っても帰ってこない」

石橋の人形

石橋と書いて『しゃっきょう』というお人形があります、『いしばし』 ではありません、能の作品のひとつですが、歌舞伎にも取り入れられていることから、鏡獅子、連獅子も含めて石橋物と呼ばれます。
髪の毛の赤い獅子と白い獅子だけの物語ですが、能と歌舞伎では筋書きが少し違います、歌舞伎で有名なのは最後の毛振りという演技です、身長より長い髪の毛を大きく回す所作は圧巻です、結構長時間の演技ですので、役者がふらふらになっているのが遠くからでもわかるほどのすさまじい動作です、終わった時は観客全員が大拍手です。 歌舞伎座で時々公演していますので、ぜひご覧下さい。 当店にもいくつかの連獅子、石橋の人形材料があります、おめでたい時の贈り物にいかがでしょうか。

高砂のお人形

高砂はおじいさんとおばあさんでおなじみの、大変に縁起のいいとされている人形です。また結婚式など、おめでたい席でもよく唄われる有名な曲目でもあります。
さてその高砂とは地名です、昔の播磨の国、高砂の浦、現在の兵庫県高砂市です。そこに植わっていた高砂の松の前で、おじいさんの尉(じょう)が、熊手で福の象徴の松をかき集め、おばあさんの姥(うば)が、ほうきで掃く(はく、つまり百、又厄を掃く)ことで福を招き寄せる、という、夫婦円満の象徴とされる能の演目です。 関西では結納品の目録の中に必ずこの高砂の人形を加えます。関東では結納品を持参するという風習が近年ほとんど廃れてしまい、『おじいさん、おばあさんの人形て、なに』という若い人が増えてきたのは残念なことです。 当店の人形材料には、現在四点の高砂があります、結婚の御祝いや金婚式の贈り物に作って贈れば喜ばれるかも。ちなみに高砂市には高砂神社、別名、尉姥神社があるそうです。

お福さんの話

お福さんとは正式には、おかめの面に似た女の人のことです、額、鼻、あごが低く両頬が膨らんだ顔です、これを『三平二満』ともいいます。
別名おたふくともいい、不美人を指す言葉ではありますが、字にすれば『お多福』、いかにも福が多そうで、顔まで愛嬌ある福相に見えます、この笑い顔の人形がお福さんです、『玄関に飾ると福が授かる』、とのことで、この人形材料は昔から売れ筋です。

木目込人形の意味

木目込人形は江戸時代に京都の上賀茂神社の神官、高橋忠重が柳の木の人形に溝を刻み、神官の衣裳などの余り裂をきめ込んだのが始まりと言われています。
その後、日光東照宮の修理、造営に参加した仏師や宮大工が、江戸の北の春日部付近に滞在した際、この付近で盛んだった桐たんすのおがくず、つまり桐粉に着目し、のりと一緒に練ったものを型に押しこみ、桐塑(とうそ)という技法を開発して大きく発展しました。そのため木目込人形は、伝統的工芸品として経済産業大臣より、江戸木目込人形という名前で指定を受けています。
木目込人形のボデイは、現在は、型に入れた桐塑を抜き出して乾燥させ、筋を彫りますが、この筋彫り作業を電動式の小型回転のこぎりで行います、職人の熟練の勘による手作業で筋を彫るだけですので、時々、一本筋を忘れたり、違う場所に筋を入れたりすることもあります。この際は、小型ののこぎりで筋を入れたり、桐粉で埋めたりして補正して下さい。
ところで、木目込という言葉の語源ですが、当初、木彫りの人形の溝に布を埋めこむことから、単純に木目込人形になったと思っていたら、 実は、「知らぬ顔の半兵衛をきめこむ」とか「おのれおのれときめつける」のキメが語源ではないか、という説もあるそうです。何せ、江戸時代の発祥なので本当のところはよくわかりませんが。
スジ彫り・補正 _ 木目込み
練った桐粉をボディの欠けた所やスジ彫りの余分な所に埋めます。 一ヵ所が木目込み終わると、この様になります。以下、全ての場所を木目込んでください。

木目込人形制作に使うのりのお話

のりは市販のヤマト糊でも可能ですが、やはり接着力の強い寒梅粉(米粉)がベストです。
理想的な作り方は、少しの寒梅粉を板の上に載せ、水をほんの少したらして竹べらなどでよく練ります。
一時間ぐらい置くと強い粘り気が出てきて、目打ちの先で引き上げると糸を引き、溝へ入れやすくなります。
ヤマト糊よりかなり固めですが、このため布にのりが滲みないため、仕上がりがきれいです。
のり _ のり入れ
寒梅粉をフタのある容器に入れ、水を少しずつ加えながら粘りが出るまでよく練ります。人形作りが一日で終わりそうにない時は、フタをして冷蔵庫で保存すれば数日持ちます。 目打の先にのりをつけ、溝にいれます。この時、これから張る布の溝にだけのりを入れます。

勢獅子のお人形

当店の人形材料には(獅子)と名前がつくものや、獅子物からきたものがたくさんあります。
わらべ獅子、勢獅子、獅子舞、連獅子、宝獅子、石橋。
 お分かりのように大きく分けて、獅子舞系と歌舞伎、能の獅子物舞踊系に分かれます。ところがどちらもそもそもは中国からきて、出どこは同じなのです、面白いですね、獅子舞と連獅子のルーツが一緒とは。
 獅子とはライオンです、ただし中国の清涼山に住むという有難い霊獣です、それを偶像化させたのが中国の獅子舞です、それが何百年も前に日本に渡り、日本の獅子舞になります、一部では日本に昔からあった鹿踊りと結びつきます、つまり鹿(しし)と獅子がくっついてしまったのです。
 さて問題は獅子物舞踊系です、なぜ中国の獅子舞が日本の歌舞伎では連獅子や鏡獅子になったのでしょうか、いろんな説がありますが、実ははっきりとはわかりません、ただ鏡獅子のあの豪快な毛を振り回す毛振りの動作と、獅子舞が獅子頭を振り回す所作が同じものであることは事実ですが。
 お正月に飾る獅子舞のお人形は、この一年病気になりませんように、との意味もあります。

触れ太鼓のお人形

ふれ太鼓とはお祭りなどの時、子供たちが前触れのために太鼓を叩くことです、振れ回る太鼓という意味です。有名なのは相撲のふれ太鼓です、初日の前日に棒に渡した太鼓を二人が担ぎ、一人が太鼓を叩きます、両国の町を練り歩き(かっては浅草橋にも来ましたが)こうして「明日から国技館で大相撲が始まりますよ、皆さん見に来てくださいね」というわけです。
毎朝の取り組み開始前にもやぐらの上で太鼓を叩きます、これは「寄せ太鼓」といいます、「さぁーこれから今日の取り組みが始まるよー」というわけです。 取り組みがすべて終わったときには「跳ね太鼓」を叩きます、これはテレビでも流れていますからお馴染みでしょうが、一度タターンと響いた後、コロコロと早く太鼓とバチの小さな音を聞かせ、その後強弱、長短を組み合わせて叩きます、「相撲が終わりましたよ、どうぞ御無事にお帰りくださいね」という意味だそうです。
このように太鼓の叩き方でなんとなく意味を判らせてしまう、というのはさすがプロの太鼓叩きの技術です、子供たちが適当に叩いているのとはえらい違いです。

京舞子のお人形さん

京都といえば舞妓さんです、舞妓さんは京都の芸者見習いのような人達です、中学ないし高校出の若い子を置屋さんで寝起きさせながら、舞い、行儀、三味線、太鼓、京言葉などを仕込みます、通常一年後に舞妓デビュー、さらに四~五年は舞妓をしてから、その後芸者になります。
舞妓さんの特徴はその姿です、まず髪の毛は自分の毛で、割れしのぶという髪形にし、花かんざしを挿します、花かんざしは季節ごとに替え、二月は梅、四月は桜、十月は菊という具合です、顔は白塗りの厚化粧、襟は芸者さんは白ですが、舞妓さんは最初は赤で年毎に赤の割合が少なくなります、ですからこの舞妓さんが新人かベテランかが見ただけでわかります、帯はかの有名なだらりの帯です、長さ5メートルもあり足首近くまで垂れ下がります、重くて長いのでとても自分ひとりでは着せ付けできず、男衆という着せ付け担当の人がいます、下駄は背の高いポックリ、着物は裾引きというお引きずりの着物です、歩くときは引きずらないように、つまの部分を必ず左手で持ちます。   舞妓さんと話してみてわかることですが、彼女たちは地方からの出身者がほとんどです、舞妓にあこがれて京都にくるのでしよう、それがほぼ完璧な京言葉なのですからびっくりします、いかに修行が厳しいかということですね。   ほんまに大変どすなー。

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