雛人形は平安の宮廷装束を模したものです、その代名詞といえば十二単(じゅうにひとえ)です。 同じ大きさの衣を何枚も重ね、表から見える袖口や裾の色の重なりで美しさを際立たせました。そしてその重ね方は季節の草花や自然のイメージで季節感を表現したものです。 基本は表地と裏地の配色である合色目(あわせのいろめ)です、例えば、梅という名前のついた春の合色目なら表が白で裏が蘇芳(すおう、暗い紅色)という具合でした。

さらにそれらの色を何枚か重ねると、襲色目(かさねのいろめ)という配色で季節を表現しました。同系の色を上から下へだんだん濃くなる、または薄くなるのを匂い(におい)と呼び、しだいに薄くなって白で終わる配色を薄様(うすよう)と呼んでいます、その他違う色の組合せや同じ色だけを配したものもありました。
これらはすべて、移り行く自然の姿を映した平安貴族の美意識といえるのです。
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雛道具の柄に多用される唐草模様は図案化した蔦の模様曲線と渦巻きを組み合わせることで、つるが絡み合う様子を表わしています。メソポタミアやエジプトから中国を経由して日本に入ったという歴史を持つ、とんでもない古い模様です。
つる草は茎をどこまでも伸ばしていくことから、長寿、延命、子孫繁栄の象徴とされるおめでたい柄です。そこで近頃の結婚式では唐草模様の風呂敷で御礼の品を包むことが流行っているとか。
ただしこの模様の風呂敷といえば、日本では泥棒の小道具のイメージです、どこでどう間違ったのでしょうか。
雛人形などに見られますが,まゆ毛がなくて、替わりにその上に円形の点が二つ書いてあります。これは殿上眉とか高眉とか引眉という化粧法です。
奈良時代から平安時代にかけて行なわれた化粧法ですが、もともとのまゆを剃るか抜いたあと、元のまゆより上に墨で長円形に描いたものです。この時代は位の高い貴族の男子のみの化粧法ですが、江戸時代には既婚の女性がお歯黒とセットでこれをしていました、ただ江戸後期には、まゆを剃ったあとは何もしなかったようです。まゆを剃ってお歯黒で歯が真っ黒な女性って、やはりかなり不気味ですよね。
さてそのお歯黒の話です。おはぐろと辞書で引くと鉄漿と出てきます、『かねつけ』 とも言っています。江戸時代には既婚の女性の間には定着していました。
お歯黒の作り方は各家庭によって秘伝があったようですが、とにかくむせるほど臭かったといいます。それを毎日か、せめて2〜3日に一度は付け直し、なおかつ、まゆもそり落とす、というのが江戸時代の化粧というのですから、奥様方はその時代に生まれていなくてよかったですね。まあ当時は黒い歯こそ、セレブな奥様の条件という訳です。
雛人形の三人官女のうち一人は、お歯黒をして引眉をしています、つまり既婚の女性というわけです。たまに「まゆ毛が書いていない」、という苦情がありますが「こういうことです」というと「知らなかったわ」と納得されます。
桜橘は雛人形には付きもののお道具です、原型は京都御所の紫宸殿前にあります、御殿に向かって右に桜(殿上から見て左に桜なので、左近の桜)、左に橘が植わっています(右近の橘)。
桜は述べるまでもありませんが、橘とは一体どんな木なのでしょうか。たしかに橘は一般にあまり見かけません、しかし橘という地名、橘中学とか橘学園とかいう学校名、グループの名前などに随分と使われています。
橘は高さ2〜4m、冬でも落葉しません、初夏に白い花が咲き、冬に実がつきます、ミカン科ですが、酸っぱすぎて食用にはならないそうです、まあ、ミカンの先祖ですね。
冬に黄金色の実がつき、古来から不老長寿の木とされてきたことから、ありがたい木とあがめられてきました。
平安神宮や八坂神社にも植わっているそうですし、古事記、万葉集、源氏物語などにも記述が見られるという日本の木なのであります。
雛人形のお顔の部分は、胡粉(ごふん)という白の顔料でお化粧されています、この胡粉、室町時代にはすでに障壁画などに使用されていたそうですが、現在でも日本画の白には、この胡粉を使用しています。
胡粉の原料は、イタボガキという普通のカキより一回り大きい天然のカキです。イタボガキは石灰質部分が多く、他の白い貝殻には見られない特質を備えており、上質の胡粉製造に適しています。
貝殻は露天積みして十年以上風雨にさらします。これは塩分を抜き、風化させてもろくする為です。この貝がらを粉砕し、さらにいくつかの工程をへて品質を高め、胡粉となるのです。
この胡粉は江戸時代には、現在の荒川区南千住の汐入付近で盛んに作られていました、汐入という地名でもわかるように、かつてはここも海のそばだったのでしょうか(今では海は十キロも先ですが)汐入小学校の文化資料室には胡粉コーナーがあり、貝殻を粉にするための石臼などが展示されています。また近くには胡録神社という名前の神社があり、胡粉作りと密接な関係があったのでは、と言われています、ちなみに今は京都の宇治にある工場でのみ製造されているそうです。
雛人形に限らず織物の基本的な柄に、有職文様(ゆうそくもよう)というものがあります。奈良時代に中国から入ってきた唐風文様に対し、平安時代以後に作られた純国産の文様です。代表的なものに、立湧(たてわく)、亀甲、唐草、七宝(しっぽう)、蜀江(しょっこう)、青海波、沙綾型(さやがた)、観世水 (かんぜみず)等があります。これらは基本的に金糸を使わないので、金襴とは区別され、落ちついた雰囲気の上品な織物なので、近年、雛人形などに多く用いられています。
織物は縦糸の間に横糸を織り込むわけですが、その横糸を巻くボビンのような道具を杼(ひ)と言います、この杼が縦糸の間を行ったり来たり、行ったり来たり、と何千回何万回も往復して模様を織り出していく訳です。
杼は英語でシャトルといいます、だからアメリカの宇宙飛行船をスペースシャトルと言っているのは、宇宙と地球の間を行ったり来たりするからです。バドミントンの羽根をシャトルというのも同じ理由です。
手織で織る高級品の織物は手作りの杼を使います、京都にはこれだけを作る専門職人もいるくらいで、織物を織るのに大変重要な道具です。
「ひな祭りには白酒を飾って、飲まなければいけないのでしょうか」というお問い合わせがありました。又、白酒と甘酒は同じものと思っている人が若い人では3分の2もいる、とのデーターもありますので調べてみました。
まず白酒は、蒸したもち米や米こうじに、アルコール、みりんなどを加え、1ヶ月ほど熟成させます、そのあと出来たもろみをすりつぶしたものが白酒です、白くにごり、甘くて、アルコール分も10%ほどあります。
甘酒は、米と米こうじを混ぜたものを50〜60℃で一晩発酵させます、これによりでんぷんが糖化して、ほのかに甘くなったものが甘酒です、アルコール分は1%以下なので、清涼飲料水に分類されています。又、酒カスをお湯で溶いて砂糖を加えた簡略なインスタント甘酒を、昔はどの家庭でもよく作っていました。
見た目がどちらも白くにごっているので、白酒と甘酒を混同したのでしょう。
なお白酒を供える理由としては、雛人形につきものの桃の花の桃色と対比して、紅白めでたいもの、という訳で、江戸時代後期には風習として定着していたようです。
江戸時代の川柳に「ひなまつり、みなちっぽけなクダをまき」という句があります、幼い子供達が白酒で酔っぱらってクダをまいている、というわけです。
ただし、白酒は甘くて、大人は酔っぱらうほど飲めたものではありません。
江戸時代に豊島屋という酒屋が毎年2月25日に、この白酒売出しをした様子はすさまじいものであったといわれております。
この日、江戸中の人々が早朝から店の前に並び、一日だけで一升瓶にして十万本、売上にして数千両を商ったといわれております。
このため店の広い間口を竹矢来で囲み、医師と鳶の人を待機させ、白酒を求めて殺到する人々がケガをするのに備えた、といいますからビックリです。とにかく当時は「山は冨士、白酒は豊島屋」といわれたほどの大人気商品でした。
ちなみに豊島屋はいまも「金婚」という日本酒を造っていますし、白酒も販売しています、ただし季節物限定商品なので、すぐ売り切れてしまうとか。
たまに、「雛人形を飾る方位に決まりはあるのでしょうか」というお電話があります、「北向きに飾ってはいけない」とか、逆に「北向きに飾りなさいといわれたが、どうなんでしょうか」というご質問です。 結論から言えば、そんな話はどの文献でも見たことはありません、第一うさぎ小屋にそんな余裕はありませんよね、(失礼) まあ強いて言えば、日の当る場所は雛人形の衣裳が日焼けしてしまうのでよくありません、それと、クーラーやファンヒーターの温風の当る場所は、雛人形の顔のヒビ割れや、台や屏風の材木が乾燥しすぎて、反ったり、割れたりの原因になるのでこういう場所は避けて下さい。
お母さんの雛人形は生まれた赤ちゃんには使えません、それが雛人形のルールです。
雛人形のルーツは流し雛です、紙やわらで作った「ひとがた」で体をなでて厄を移し、それを川に流すという、千年の歴史のある風習です。つまり、雛人形は生まれた子の厄(厄災、わざわい)を背負わせるお守りの意味の身代わり人形です。ですから前の代(例えばお母さん)の雛人形を使い回すのは、純白でけがれのない赤ちゃんにお母さんの厄を持たせる、という意味になり感心できません。ですから赤ちゃんの雛人形とお母さんの雛人形を二つ並べてお飾り下さい、おばあちゃんのがあれば三つ並べてお飾り下さい。その家の歴史と三代のきずなを確認するためにも、素敵な雛祭りになることでしょう。
結婚式もそうですが、雛人形も向かって右に女雛、左に男雛と決まっています。ところが大正時代以前と、現代でも京都では、これが逆なのです。この左右が入れ違ったのは昭和の始めでした。昭和天皇の即位式で、欧米にならい左に天皇陛下、右に皇后陛下がお並びになったことから、当時の東京の人形組合が雛人形の左右も決めたからです。ところが京都だけは、大正以前の京都御所の天皇の並び方と同じく、右に男雛、左に女雛の位置を変えていません。
その理由は「天子南面」という言葉にあります、京都御所の紫宸殿は南に向いて建てられています、天子様は南に向いて太陽の出る方角、つまり東側が上座ということで、自分側から見て左(向かって右側)に座ります。右大臣や左大臣も自分側から見て左側が上座ですから、そこに上司であるおひげの立派な左大臣が座ります。つまり京都では、南面=東=左=上座という古くからの歴史上の考え方を今に至るも踏襲しているからなのです。
しかし現在では、左前、左遷などの言葉もあるように、どうも左は劣勢です、どうしてなんでしょうかね。
菱もちは雛人形にはつきものです、三段重ねの場合は下から白、緑、ピンクとなっています、実はこれ、白い雪の中から緑の芽が出て、桃の花が咲くと解釈されています。春の訪れというわけです。さらに五段の場合は、この上に月を意味する黄色と、太陽を表す赤のひしもちがつきます。
ただし色の順番には諸説あります、がどうもこの解釈の仕方が一番分かりやすくていいと思われます。
また何故菱形かについては、「仙人は菱の実を食べて千年生きた」の故事にちなみ、「長生きするようにとの願いをこめて菱形にした」との説が有力です。さらに固いモチは室町時代には赤ちゃんの歯固めの儀式のためにも供えられたということです。
こういう経由を経て、江戸時代の寛政年間にはひな祭りの雛道具のひとつとして定着してきたのです。たかが菱もちひとつにもこんないわれと古くからの歴史があるのに驚きます、日本の伝統文化は奥深いのです。
お節句が終わると雛人形の片付けです。中に入れる防虫剤について次の2つにご注意ください。 ひとつは入れすぎです。あまり大量に入れると、雛人形の布地をいため、部品をとかすことがあります。もうひとつは、違う種類の防虫剤を入れないことです。例えば、ナフタリン系としょうのう系を同時併用した場合、又は前年と違う防虫剤を今年入れた場合さえ、化学変化を起こして雛人形を傷める場合があるからです。雛人形保存用としてのおすすめは、ナフタリン系ですが、においのつくのが難点です。当店では、エンペントリン系の乾燥剤に近い無臭の防虫剤をサービスしております。
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これは、魔法陣と呼ばれる数字の並び方で、古代中国で発見され、人間と自然界の現象から八卦や運命暦などのよりどころの並び方といわれております。中央横列の数字をごらんください。そう、七、五、三です。七、五、三のお祝いは、この数字が元になっているのです。雛人形もおなじです、雛人形の基本は七段15人飾りです。永い間のひなまつりの歴史が、15人揃いという実にバランスのいい飾り方に行き着いたと考えられるのです。 満月の夜を十五夜といいますが、これも同様です。
犬のお産は非常に軽いことから、昔から安産のお守りとされてきました。例えば、妊婦が岩田帯を締めるのは、戌の日とされてきましたし、皇室では、お伽犬『おとぎいぬ、または戌筥(いぬばこ)ともいう』を紀宮さま(黒田清子さま)や愛子さまご出産の際に、宮内庁病院の産室に飾って、無事の御出産を願いました。 その庶民版の郷土玩具が、犬張り子です。 でんでん太鼓を背負う犬張子は、昔は鈴に替わり豆が使われていました。「まめまめしく育つように」との願いです。また太鼓を結ぶひもには麻が使われていました、麻はまっすぐ伸びるので「すくすく育つように」との意味です。 竹のざるかぶり犬は、ざるは空気を通すので赤ちゃんの鼻の通りをよくする、つまり風邪を引かないように、とか、竹と犬の字を合わせると 笑 という字に似ることから、赤ちゃんがいつも笑顔で竹のごとくすくすくと成長するように、との意味があります。 こじつけのようですが昔の人はこういう洒落を楽しんでいたのですね。 子の無事の成長を祝うひな祭りと同じような意味があることに驚きます。
時には「来週頃、娘に女の子が生まれる予定なので、雛人形が欲しい」という気の早いお客様が来店されます。 当方もびっくりいたしますが、原則としてお節句の前3週間以内に生まれた赤ちゃんの御祝いは、翌年に廻すことになっています。つまり女の子なら2月10日以後生まれ、男の子なら4月14日以後生まれです。(明治神宮制定の人生儀礼による) でも、女の子が生まれた時「やったぁー、これでおひなさまが買える」と叫んだ人がいるとか。
江戸中期の人気歌舞伎役者であった佐野川市松が江戸の中村座で公演した際、石畳模様の袴を使ったのが評判になり、佐野川市松と共にこの模様が大流行しました、以来この模様を市松模様といっています。 そしてこの頃、佐野川市松の容姿を模して作られた人形が大はやりし、その後このような人形を市松人形と称するようになりました。
始めのうちは愛玩用の抱き人形でしたが、座ることのできる三つ折れ人形や、明治以降では飾り用の立ち姿でおかっぱ頭の人形が主流になり今に至っています。関西ではいまだに『いちまさん』と親しみを込めて読んでいます。 雛人形は原則としてママ側の実家が用意するもの、というのが定着しています、ではパパの実家では何もしなくていいのでしょうか、そこで最近「可愛い孫のためにせめて何かお祝いをしてあげたい」というパパ側の祖父母が『お出迎え人形』と称して、市松人形を用意する例が増えてきました、ママの実家から届く雛人形をお出迎えする人形というわけです。
平安時代に王朝貴族の遊びのひとつに『貝合わせ』というのがあります、これは一組のはまぐりの内側の両方に同じ絵を描いたのを伏せて並べておきます、そしてたくさんの中から同じ絵で殻がピッタリ合うものを探り当てるという、トランプの「神経衰弱」という遊びに似たものです。
はまぐりの殻は他のはまぐりの殻とは決して合いません、だから男女の中の末永いことを祈る意味で、この貝を入れる「貝桶」という容器がひな道具のひとつとなっています。またひなまつりの料理といえば、はまぐりのお吸い物が決まりになっているのも同じ意味からです。
写真は三代目将軍家光の娘の千代姫が尾張家二代目光友と結婚する際に持参した嫁入り道具のひとつの貝桶です。貝桶は嫁入り道具の中で最も重要のもので、婚礼行列では「御貝桶渡役」といわれた家老が先頭を飾りました。本物は全高53pという大きなもので最高級の蒔絵が施されています。
3月3日は通称 桃の節句。 我々にはもっともなじみ深い節句です。この時期に咲く花だから、それにちなんで桃の節句といえばそれまでですが、実は平安時代にはすでに「3月3日は桃の節句である」という文献が残されています。桃は、当時は食べるというより中の種を乾燥したものを薬として使用していました、薬になるくらいですから桃の花は魔除けのシンボルつまり霊木として3月3日に飾られていたのです。ただし、まだこの頃には人形とは結びついていませんが。
その後各地の流し雛の風習とお人形遊びが重なり「3月3日=桃の節句=雛祭り」となって、今のような雛祭りの原型が室町時代頃に出来上がりました。 そして江戸中期頃からは、3月3日は女の子の初節句を祝い、その子の健やかな成長を託すために雛人形を飾る行事として、庶民の間にも定着して今日に至るのです。
平安時代のご先祖様もお節句の日には、育ち来る子供達の健全な未来を願っていたのですから、千年たっても親の願いが同じであることに驚きます。
雛祭る 都はづれや 桃の月 蕪村
3月3日の桃の節句と5月5日の菖蒲の節句。これ以外にもあと三つの節句が大昔からあります。 それは1月7日の人日(じんじつ)の節句、7月7日の七夕の節句、そして9月9日の重陽(ちょうよう)の節句です。 つまり、1月を除いて奇数月のゾロ目の日です。 ところで何故1月は1日ではないのでしょうか。 実はさらに大昔の奈良時代頃には1日だつたそうですが、後に江戸幕府がこの五節句を正式に定める際に、1月1日は別格の日だからという理由で7日にしたということです。
節句とは、本来は季節の節目に神様に供える供物、つまり節日の供物のことです。だから「節供」と書くのが正式なのですが、どういう訳か江戸時代頃からは節目の句切り、つまり節句となっていったようです。江戸幕府はこの五節句を毎年盛大に祝い、家来達はこの日に登城してお祝い料理(つまり節日の供物)をいただきました。 ところが年に5回も家来達にごちそうを出すのは大変です。その内いつしか料理つまり供物だけがなくなり、かたちだけの節供の儀式になりました。そこで家来達は陰で「供物がないのに節供とはこれいかに」と不満をいいました。 かくして「節目の句切りなら文句あるまい」という訳でいつしか節句となっていった、という次第です。 しかし庶民達には関係ありません。1月7日を七草の節句、3月3日を桃の節句(正式には上巳じょうし)、5月5日を菖蒲の節句(正式には端午たんご)、7月7日を七夕祭り、9月9日を菊の節句として楽しみ、今に受け継いでいるのです。
雪洞と書いて、ぼんぼりと読みます。何故ぼんぼりというかについては、次の説が有力です。それは「ほんのり」という言葉が転化したという説で、ほのかに、という意味です。火袋を通しての間接的な灯りが、やわらかく、ほのか、であったことを表現しています。また雪洞は当て字ですが、雪のかまくらの中の灯りが、ぼんぼりのほのかな灯りと、よく似ていたことに由来するからでは、と言われています。 雪洞はかってはろうそくを入れましたが、危険な為、今は電気式、又は電池式です。コード付の電気式のものは安全性確保のため、法律でコードの太さが決められています。そのため、太めのコードが邪魔で飾りにくいのが欠点です。コードレスの電池式は、飾りやすさは抜群ですが、今一つ暗いのと、電池寿命の問題があります。
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