おひなさまは平安の宮廷装束を模したものです、その代名詞といえば十二単(じゅうにひとえ)です。 同じ大きさの衣を何枚も重ね、表から見える袖口や裾の色の重なりで美しさを際立たせました。そしてその重ね方は季節の草花や自然のイメージで季節感を表現したものです。 基本は表地と裏地の配色である合色目(あわせのいろめ)です、例えば、梅という名前のついた春の合色目なら表が白で裏が蘇芳(すおう、暗い紅色)という具合でした。

さらにそれらの色を何枚か重ねると、襲色目(かさねのいろめ)という配色で季節を表現しました。同系の色を上から下へだんだん濃くなる、または薄くなるのを匂い(におい)と呼び、しだいに薄くなって白で終わる配色を薄様(うすよう)と呼んでいます、その他違う色の組合せや同じ色だけを配したものもありました。
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これらはすべて、移り行く自然の姿を映した平安貴族の美意識といえるのです。
「ひな祭りには白酒を飾って、飲まなければいけないのでしょうか」というお問い合わせがありました。又、白酒と甘酒は同じものと思っている人が若い人では3分の2もいる、とのデーターもありますので調べてみました。 まず白酒は、蒸したもち米や米こうじに、アルコール、みりんなどを加え、1ヶ月ほど熟成させます、そのあと出来たもろみをすりつぶしたものが白酒です、白くにごり、甘くて、アルコール分も10%ほどあります。 甘酒は、米と米こうじを混ぜたものを50〜60℃で一晩発酵させます、これによりでんぷんが糖化して、ほのかに甘くなったものが甘酒です、アルコール分は1%以下なので、清涼飲料水に分類されています。又、酒カスをお湯で溶いて砂糖を加えた簡略なインスタント甘酒を、昔はどの家庭でもよく作っていました。 見た目がどちらも白くにごっているので、白酒と甘酒を混同したのでしょう。 なお白酒を供える理由としては、雛人形につきものの桃の花の桃色と対比して、紅白めでたいもの、という訳で、江戸時代後期には風習として定着していたようです。 江戸時代の川柳に「ひなまつり、みなちっぽけなクダをまき」という句があります、幼い子供達が白酒で酔っぱらってクダをまいている、というわけです。 ただし、白酒は甘くて、大人は酔っぱらうほど飲めたものではありません。
たまに、「ひな人形を飾る方位に決まりはあるのでしょうか」というお電話があります、「北向きに飾ってはいけない」とか、逆に「北向きに飾りなさいといわれたが、どうなんでしょうか」というご質問です。 結論から言えば、そんな話はどの文献でも見たことはありません、第一うさぎ小屋にそんな余裕はありませんよね、(失礼) まあ強いて言えば、日の当る場所は人形の衣裳が日焼けしてしまうのでよくありません、それと、クーラーやファンヒーターの温風の当る場所は、人形の顔のヒビ割れや、台や屏風の材木が乾燥しすぎて、反ったり、割れたりの原因になるのでこういう場所は避けて下さい。
お母さんの雛人形は生まれた赤ちゃんには使えません、それが雛人形のルールです。
雛人形のルーツは流し雛です、紙やわらで作った「ひとがた」で体をなでて厄を移し、それを川に流すという、千年の歴史のある風習です。つまり、雛人形は生まれた子の厄(厄災、わざわい)を背負わせるお守りの意味の身代わり人形です。ですから前の代(例えばお母さん)の雛人形を使い回すのは、純白でけがれのない赤ちゃんにお母さんの厄を持たせる、という意味になり感心できません。ですから赤ちゃんの雛人形とお母さんの雛人形を二つ並べてお飾り下さい、おばあちゃんのがあれば三つ並べてお飾り下さい。その家の歴史と三代のきずなを確認するためにも、素敵な雛祭りになることでしょう。
結婚式もそうですが、おひなさまも向かって右に女雛、左に男雛と決まっています。ところが大正時代以前と、現代でも京都では、これが逆なのです。この左右が入れ違ったのは昭和の始めでした。昭和天皇の即位式で、欧米にならい左に天皇陛下、右に皇后陛下がお並びになったことから、当時の東京の人形組合がおひなさまの左右も決めたからです。ところが京都だけは、大正以前の京都御所の天皇の並び方と同じく、右に男雛、左に女雛の位置を変えていません。京都の人は頑固ですね。いや、今も日本の文化の中心は京都だと自負しているのでしょうか。
三段重ねのひしもちはおひなさまにはつきものですね。そのひしもち、下から白、緑、ピンクと決まっています。実はこれ、白い雪の中から緑の芽が出て、桃の花が咲くと解釈されています。春の訪れ、というわけですね。 さらに、五段の場合は、この上に月を意味する黄色と、太陽を表す赤のひしもちがつくのです。 びっくりしましたね、こんな意味があるとは。赤ちゃんが大きくなったらこの意味を教えてあげて下さいね。
お節句が終わると人形の片付けです。中に入れる防虫剤について次の2つにご注意ください。 ひとつは入れすぎです。あまり大量に入れると、人形の布地をいため、部品をとかすことがあります。 もうひとつは、違う種類の防虫剤を入れないことです。例えば、ナフタリン系としょうのう系を同時併用した場合、又は前年と違う防虫剤を今年入れた場合さえ、化学変化を起こして人形を傷める場合があるからです。 人形保存用としてのおすすめは、ナフタリン系ですが、においのつくのが難点です。当店では、エンペントリン系の乾燥剤に近い無臭の防虫剤をサービスしております。
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これは、魔法陣と呼ばれる数字の並び方で、古代中国で発見され、人間と自然界の現象から八卦や運命暦などのよりどころの並び方といわれております。 中央横列の数字をごらんください。そう、七、五、三です。七、五、三のお祝いは、この数字が元になっているのです。おひなさまもおなじです、ひな人形の基本は七段15人飾りです。永い間のひなまつりの歴史が、15人揃いという実にバランスのいい飾り方に行き着いたと考えられるのです。 満月の夜を十五夜といいますが、これも同様です。
犬のお産は非常に軽いことから、昔から安産のお守りとされてきました。例えば、妊婦が岩田帯を締めるのは、戌の日とされてきましたし、皇室では、お伽犬『おとぎいぬ、または戌筥(いぬばこ)ともいう』を紀宮さま(黒田清子さま)や愛子さまご出産の際に、宮内庁病院の産室に飾って、無事の御出産を願いました。 その庶民版の郷土玩具が、犬張り子です。 でんでん太鼓を背負う犬張子は、昔は鈴に替わり豆が使われていました。「まめまめしく育つように」との願いです。また太鼓を結ぶひもには麻が使われていました、麻はまっすぐ伸びるので「すくすく育つように」との意味です。 竹のざるかぶり犬は、ざるは空気を通すので赤ちゃんの鼻の通りをよくする、つまり風邪を引かないように、とか、竹と犬の字を合わせると 笑 という字に似ることから、赤ちゃんがいつも笑顔で竹のごとくすくすくと成長するように、との意味があります。 こじつけのようですが昔の人はこういう洒落を楽しんでいたのですね。 子の無事の成長を祝うひな祭りと同じような意味があることに驚きます。
時には「来週頃、娘に女の子が生まれる予定なので、おひなさまが欲しい」という気の早いお客様が来店されます。 当方もびっくりいたしますが、原則としてお節句の前3週間以内に生まれた赤ちゃんの御祝いは、翌年に廻すことになっています。つまり女の子なら2月10日以後生まれ、男の子なら4月14日以後生まれです。(明治神宮制定の人生儀礼による) でも、女の子が生まれた時「やったぁー、これでおひなさまが買える」と叫んだ人がいるとか。
江戸中期の人気歌舞伎役者であった佐野川市松が江戸の中村座で公演した際、石畳模様の袴を使ったのが評判になり、佐野川市松と共にこの模様が大流行しました、以来この模様を市松模様といっています。 そしてこの頃、佐野川市松の容姿を模して作られた人形が大はやりし、その後このような人形を市松人形と称するようになりました。
始めのうちは愛玩用の抱き人形でしたが、座ることのできる三つ折れ人形や、明治以降では飾り用の立ち姿でおかっぱ頭の人形が主流になり今に至っています。関西ではいまだに『いちまさん』と親しみを込めて読んでいます。 おひなさまは原則としてママ側の実家が用意するもの、というのが定着しています、ではパパの実家では何もしなくていいのでしょうか、そこで最近「可愛い孫のためにせめて何かお祝いをしてあげたい」というパパ側の祖父母が『お出迎え人形』と称して、市松人形を用意する例が増えてきました、ママの実家から届くおひなさまをお出迎えする人形というわけです。
平安時代に王朝貴族の遊びのひとつに『貝合わせ』というのがあります、これは一組のはまぐりの内側の両方に同じ絵を描いたのを伏せて並べておきます、そしてたくさんの中から同じ絵で殻がピッタリ合うものを探り当てるという、トランプの「神経衰弱」という遊びに似たものです。 はまぐりの殻は他のはまぐりの殻とは決して合いません、だから男女の中の末永いことを祈る意味で、この貝を入れる「貝桶」という容器がひな道具のひとつとなっています。またひなまつりの料理といえば、はまぐりのお吸い物が決まりになっているのも同じ意味からです。
3月3日は通称 桃の節句。 我々にはもっともなじみ深い節句です。この時期に咲く花だから、それにちなんで桃の節句といえばそれまでですが、実は平安時代にはすでに「3月3日は桃の節句である」という文献が残されています。桃は、当時は食べるというより中の種を乾燥したものを薬として使用していました、薬になるくらいですから桃の花は魔除けのシンボルつまり霊木として3月3日に飾られていたのです。ただし、まだこの頃には人形とは結びついていませんが。
その後各地の流し雛の風習とお人形遊びが重なり「3月3日=桃の節句=雛祭り」となって、今のような雛祭りの原型が室町時代頃に出来上がりました。 そして江戸中期頃からは、3月3日は女の子の初節句を祝い、その子の健やかな成長を託すためにおひなさまを飾る行事として、庶民の間にも定着して今日に至るのです。
平安時代のご先祖様もお節句の日には、育ち来る子供達の健全な未来を願っていたのですから、千年たっても親の願いが同じであることに驚きます。
雛祭る 都はづれや 桃の月 蕪村
3月3日の桃の節句と5月5日の菖蒲の節句。これ以外にもあと三つの節句が大昔からあります。 それは1月7日の人日(じんじつ)の節句、7月7日の七夕の節句、そして9月9日の重陽(ちょうよう)の節句です。 つまり、1月を除いて奇数月のゾロ目の日です。 ところで何故1月は1日ではないのでしょうか。 実はさらに大昔の奈良時代頃には1日だつたそうですが、後に江戸幕府がこの五節句を正式に定める際に、1月1日は別格の日だからという理由で7日にしたということです。
節句とは、本来は季節の節目に神様に供える供物、つまり節日の供物のことです。だから「節供」と書くのが正式なのですが、どういう訳か江戸時代頃からは節目の句切り、つまり節句となっていったようです。江戸幕府はこの五節句を毎年盛大に祝い、家来達はこの日に登城してお祝い料理(つまり節日の供物)をいただきました。 ところが年に5回も家来達にごちそうを出すのは大変です。その内いつしか料理つまり供物だけがなくなり、かたちだけの節供の儀式になりました。そこで家来達は陰で「供物がないのに節供とはこれいかに」と不満をいいました。 かくして「節目の句切りなら文句あるまい」という訳でいつしか節句となっていった、という次第です。 しかし庶民達には関係ありません。1月7日を七草の節句、3月3日を桃の節句(正式には上巳じょうし)、5月5日を菖蒲の節句(正式には端午たんご)、7月7日を七夕祭り、9月9日を菊の節句として楽しみ、今に受け継いでいるのです。
雪洞と書いて、ぼんぼりと読みます。何故ぼんぼりというかについては、次の説が有力です。それは「ほんのり」という言葉が転化したという説で、ほのかに、という意味です。火袋を通しての間接的な灯りが、やわらかく、ほのか、であったことを表現しています。また雪洞は当て字ですが、雪のかまくらの中の灯りが、ぼんぼりのほのかな灯りと、よく似ていたことに由来するからでは、と言われています。 雪洞はかってはろうそくを入れましたが、危険な為、今は電気式、又は電池式です。コード付の電気式のものは安全性確保のため、法律でコードの太さが決められています。そのため、太めのコードが邪魔で飾りにくいのが欠点です。コードレスの電池式は、飾りやすさは抜群ですが、今一つ暗いのと、電池寿命の問題があります。